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KALAMARI report

あらすじ

人は絡まり合って生きている

でももしかしたら…

絡まり合うことで、活きていることを実感している

だけなのかもしれない―。

都心から150km程離れた一般道路を中心に起る三組の恋愛交差物語。
ドライブ帰り道、渋滞に巻き込まれたカップルの会話劇「悲しみが始まる前に三十分のキスをしよう」
小さな露店の売り子と、立場も年齢も異なる二人の男との複雑な三角関係を描いた「通りすがりの女」
一両編成ワンマン電車内で、バレエ教室に通う女に恋をした男の感情を日記風に綴った「ハンドメモ」
一話完結のオムニバス作品とは異なり、それぞれの話が断続的に絡まって展開されていく。

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絡マリ - junbungaku
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「はじめに」

隼文学「絡マリ」終演しました。きっかけは一人の思いとはいえ、これだけの人間が一定期間集団行動をせざるおえない状況を招いています。これはもはや事故です。その責任と代償はとても重たいです。

僕はここ4年ほどキャストスタッフ約40人、来場者600~800人、総公演予算約200~300万円という規模で保証もスポンサーも殆どないチケット会費制の自主表現興行を行っています。なんで人が人生で数えるほどしか体験しない冠婚葬祭の様な覚悟で、この収支不安定な舞台公演を年にわざわざ3回も4回も繰り返すのか、それは僕にもはっきりとはわかりません。俗に言う「普通」を嫌い避けて生きてきた宿命なのかもしれません。


それゆえに、今回の劇場都合でのスケジュール変更は人生においても大きな事件でしたし、相当なイベントでした。初めての経験にも屈せず頼りになるスタッフで本当に良かった。そのプレッシャーと重圧に負けずに笑えるキャスト達で良かった。このクルーじゃなかったらこの作品は産れなかったと心から思います。起ったことは仕方がありません、それでも旗を掲げ、前に進むしかないのです。
 

 

「隼文学という旗」
 

 

元々は純文学からとった造語で「加藤隼平」の隼(はやぶさ)の字をとりました。
脚本、演出、デザイン、映像、音楽、俳優全てを経験した僕の中にある「浅く広くコンプレックス」から、「結局なにやりたいの?」と人生で軽く100回はいわれてきた僕が「そんなの分かったら苦労しないわ!!」という怒りと共に、「じゃあさ、あんたは何やってんの?なんか1つこれって言える?」という疑問も抱いてきました。小さな頃はみんな持っていたはずのコンプレックス、背が低いも、背が高い事も、そばかすも、テンパも…悩みに悩んでいつかそれを自分が受け入れられた時、誰にも負けない武器になるんだと思います。それが僕にとっては細かく有りすぎて…でも、その克服場所が舞台で演劇だったんだと思ってます。隼文学とは、そんな僕なりの表現であり、文学であり、言語です。

「絡マリ」

 

 

今回の作品は、僕個人の思い出と脳から飛び出したちっぽけで愛しい世界が誰かの拠り所になったと思うと感慨深いものがあります。構想10年、まさにノスタルジックでセンシティブでそれでいて柔軟でポジティブな「らしさ」の塊です。
知っている方も居らっしゃると思いますが、カラマリとは、イタリア語(最近は英語も)でイカを指します。僕は函館出身ではこだて観光大使もしています。それでなのか、そうではないのか定かではありませんが、日本ではとてもポピュラーな生き物なのに得体のしれない「イカ」にとても興味を持ちました。8本の足と2本の腕を持つイカに例え10人の表現者を集めました。そしてその10人がイカの手足のように絡まり縺れあう物語を描きたかったのです。つまり、kalamari→カラマリ→絡まり→絡マリとなりました。

「オープニング演出」

 

 

冒頭の映像は山梨の森で撮影しました、都会から迷い込む心の闇の象徴です。そこから幕が開くと紗幕の奥に浮かぶ10人が生活しています。のぞき見ているような様子、そのどこかわからない社会、人々が漂う水槽上部にキー入力が浮かびます、物語の導入として、まさにリアルタイムで僕が綴っているような効果を出したかったのです。

「悲しみが始まる前に30分のキスをしよう」

 

 

交際3年、同棲して2年のカップルが水族館帰りに交通渋滞に巻き込まれた状況から始まります。彼女の話を聞けば彼女主観になるし、彼氏の話を聞けば彼氏主観の思いにリンクする、そんな人間の寄り添い効果を演出しました。ナミダという猫の名前の由来の勘違いから、トラブルがあった時の肝の座り方まで、細部にわたって男女を描きました。男女にとって耳の痛い懺悔とも言えるような作品、特に女性からの共感の声が多かったのがとても印象的でした。

 

結婚という言葉が切り出せずにお互いが探り合い冷戦状態の二人にはそれぞれの思いがありました。妊娠したことを言えずに抱え込む真弓とケジメをつけようとプロポーズを控えた圭介のすれ違いは平行線をたどります。

 

プロポーズしてほしい女性とプロポーズをしたいと思っている男性、成立しているはずなのに拗れているその矛盾はとても男女(人間)らしいすれ違いなのかもしれません。

「通りすがりの女」

 

露店に座る奈津美は二人の男と関係を持っています。好意と若さを持つ自転車の男と、経験と経済力を持った自動車の男を天秤にかけ選んでいたつもりが止まり木のように選ばれていた悔しさやどこか覚悟していた罪悪感に涙します。春と秋(名前は愁)の間に挟まれたナツは、その傷を癒すように人知れず冬眠させるでしょう。空っぽのバケツが蹴り飛ばされた音が劇場に響く現象は胸に強く痛く響いたはずです。
 

「ハンドメモ」

これは唯一の空想の物語です。記憶を無くした女性「砂央里」とその恋人の「哲生」による初恋螺旋物語、これぞまさに純文学。情報社会の現代には可能性が邪魔をして純愛は存在しないとある学者が言っていましたが、僕もまさにそうだと思うのです。これは実際に電車で手にメモを書いた女性を見て思いつきました。

 

とあるファミリアストレンジャー(見慣れた他人)の女性、はじめは「おっちょこちょいなんだろうな…」なんて見ていた彼女のメモが日に日に増えていっていつか姿を現さなくなったらどうなるだろう…と思ったのが始まりです。それが警官の「深海隼人」が暇な時間を費やして書いた無人島の様な隔離された理想愛の世界となったのです。名前については、哲学が生まれると書いて哲生(テツオ)電車がモデルと言うことも絡めてます。さらには、砂のようにつかみきれないことから砂央里(サオリ)の文字を使用しています。
 

「触腕」
 

この三つの作品を絡める役割をしていたのが触腕です。まさに普段姿を見せないまさに奥の手として妖精の様な立ち位置を確立していました。言葉を持たない彼らは人間ではありませんので姿は見えません。

 

しかし、唯一ハンドメモではキャストとして登場しています。何故ならあそこは想像の世界だからです。唯一のシングルキャストであるビクセスのタツとノリの二人はプライベートも言葉ではなく行動で示すタイプ、まさに触腕(妖精)に適した配役だったと思います。


「海」

今回の世界観は人間関係という名の深海です。
社会と言う樹海に迷い込む人間はシャボン玉の様な泡状の夢や目標や現実、嫉妬までも浮かんでは色んな意味で儚く消えていきます。メインビジュアルのように緑に横たわりピントの合わないシャボン玉の中にいる女性のような思いはだれしもが感じたことがあると思います。何も予定してませんでしたが、この画は撮影現場で降りてきました。
ちなみに、今回の衣裳や小道具も細かいところまで「青(水色)」を基調として構成されています。※イヤフォン、帯、ストール、シャツ、タイマー、パラソル、ネクタイ、カーディガンなど

「構造」

 

 

「悲キス(X軸)」と「通りすがりの女(Y軸)」がクロスして、その空想上(上下の軸)に「ハンドメモ(Z軸)」があり、この絡まりが成立します。

つまり、全てにおいて軸となっていたのは警官なのです、僕と言う作者とお客様の橋渡しとして警官を投入しました。

 

 

その警官が「隼人」なので「隼文学」とも意味をとれます。警官はどんな状況でも人と会話が出来ます、唯一無二のセミパブリックな職業とも言えます。3つの話のレイヤーを構成してカットしてペーストする作業はとても複雑でした。そこに音楽、映像、転換、照明効果、物理的作業を成立させるのにも苦労しました。そう考えると純文学が国語だとしたら、隼文学はズバリ数学なのです。

千秋楽が公演中止となり別日への公演振替にもかかわらず、全公演平日のみで620名の来場者、更には2週間に渡った1刷と2刷公演を両方観ていただいたお客様が50名弱と12人に1人の割合だったのには驚きました。

「今後の隼文学」

僕は僕を証明する為にガンズはもちろん、隼文学もこれから毎年上半期の公演にしていこうと思います。来年の6月を予定します。ちなみに…タイトルはもう決まっています。
今年も10月にガンズ公演、12月に自主公演の少なくとも2作品が控えています。これからも願いや祈りや怒りや想いがある以上、自らのハードルを上げ、壊す用の壁を創り、コンプレックスをもっと前向きに捉え、「浅く広く…いつか深く」なれるように自分をストイックに許していきたいと思います。

「最後に」

絡マリに登場する全キャストが初演出させていただく18人の表現者たちがこの世界を体現してくださいました。僕が舞台に上がれない分細部にわたり本番のギリギリまで全てを伝えさせていただきました。ほとんどがオーディション採用に関わらず、劇団以上に団体を愛し、心から役を愛し、疑うことなく作品を愛し、ここまでよくやってくださったと思ってます。今回の絡マリは僕にとって、幸せな事故でした。その責任と代償はとても重たいですが、そこに小さく眩い光が僕には見えた気がします。

 

P.S.​

今泉翔さん、素敵な音楽をありがとうございました。

伊藤華織さん、いつも素敵な写真をありがとうございます。
プロデューサーの早瀬さん、どこまでも気苦労おかけしてます。

スーパー制作のノダマイ、貴方が居なかったらこの公演は成立していません。

全ての絡まりに感謝しています

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